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女子アナ放送事故9選!コロナストレスも吹っ飛ぶぜwww

女子アナ放送事故●選!コロナストレスも吹っ飛ぶぜwww 話題

女子アナ放送事故まとめ

さて、ここで「女子アナ」という呼び方について1つ補足しておきたい。考えたら、不思議な言葉である。女性アナではなく、女子アナ。かといって、男性アナウンサーを「男子アナ」とは呼ばない。


実はその言葉、意外と歴史が浅いんですね。初出は、1987年7月にフジテレビが出した『アナ本』という本。この中で、自局の女性アナウンサーを「花の女子アナ14人衆」と呼んだことに端を発する。驚くべきことに、それ以前にメディア上で「女子アナ」なる単語が使われたことは一度もなかった。これは僕がわざわざ大宅壮一文庫で調べたから間違いない。

ちなみに、『アナ本』が発売された87年というと、フジに中井美穂アナウンサーが入社して、いわゆる「女子アナブーム」が幕開けた年。それ以降、今日に至るまで女子アナという呼び方がすっかり定着したのである。

女子アナ第1号

という次第で、正確に言えば、先の野際陽子サンは「女子アナ」とは呼ばれていない。女性アナウンサーである。とはいえ、今や女子アナのほうが定着してしまったので、当コラムでは、あえて親しみを込めて、彼女たちを「女子アナ」と呼ばせてもらう。

次に、女子アナの歴史の話に移りたいと思う。日本で最初に女子アナが採用されたのは思ったよりずっと古くて、1925年のことだった。なんと大正14年だ。第1号の女子アナは翠川秋子サン。当時、開局したばかりの東京中央放送局(現・NHK)の総裁だった後藤新平に誘われ、入局したという。


まだラジオの時代である。当然、リスナーにアナウンサーの顔は見えない。しかし、翠川サンは大変な美人だったという。美人好きの後藤新平らしい話である。

だが、翠川サンはわずか1年で退職する。当時はまだ女性の社会進出は珍しく、先進的と言われる放送局でも、女子アナへの風当たりは強かったのだ。退職時、彼女は「男社会の犠牲になった」と語っている。ちなみに、この9年後、翠川サンは年下男性と心中する。女子アナ第1号の末路は悲劇的だった。

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